発達障害がある子どもたちのための手引書

発達がゆっくりな子どもたちへの応援ブログです。私は障害のあるお子様が、学校の授業が終わった後や、休業日に通って療育を受けられる通所施設の放課後等デイサービスで学習支援をしている先生です❗子どもたちを教えている立場から見えることをお話しします❗

友だちはどうしてもいなければならないか❓

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友だちって何なの❓
本当に友だちなの❓
友だちはいないといけないの❓
友だちは多いほど良いの❓

今挙げただけでもこれだけの疑問が湧いてくる。

巷では友だちは多いほど良いとされている感じがする。

しかし友だちって一体どういうものなのだろうか❓

今日は『友だち』に焦点を絞って考えようと思う❗

友だちを作るのは難しい。
だからこそ一生に1人出来れば十分だとも思う。

よく「心から信頼出来る友だち」っていうフレーズが使われるけど、自分はそう思っているが、相手も同じように思っているとは限らない😱。

そこで友だちの基準をどこに置くかが鍵となる。

【友だちの基準】

①話をすることが出来る。
②よく一緒に遊んだりする。
③自分の本音や弱い所をさらけ出すことも出来る。
④悪いことは悪いときっぱり言い合える。
⑤何かあっても、また打ち解けられる。

以上の中で、あなたはどの程度の友だちがいるだろうか❓

一口に友だちと言っても、幅があるのだ。
表面的な付き合いから、もっと深く人間性をも含めた付き合いまである。

ただ私は何番からが『友だち』とか言うつもりはない。

あくまでも、本人が話せるだけでも友だちだと思えば友だちだし、人には言いにくいことも言えて友だちだと思うのであればそうなのだと思う。

しかし友だちがいない=可哀想と直結に結びつけてほしくない❗

また相手がどう思っているかは別として、自分の気持ちが重要だ。

友だちが必要なのは、友だちはいるのが当たり前という先入観に基づいている。
だから友だちがいないことがまるで悪いかのように感じるのだ。

ではなぜ友だちは必要なのか❓

【友だちの存在の意味】

それは自分の存在を認めてくれることにあるのではないだろうか❓
人は自分の価値を誰かと共有して、自分は存在しているんだと認識したり 、あるいは存在していても良いんだと確認する気がする。

そのために友だちが必要だとされる。
なので、友だちが出来ないと自分が居る意味を見つけられないために、自己否定に陥る。

そしてコップに水を注いでいくと、いずれいっぱいになりこぼれる。

これと同じようにずっと1人で抱え込んでいると、抱え込めなくなり、現実逃避せざるを得なくなるのではないか❓

つまり自分が自分たる意味が見いだせるか否かが大事なのだ📢

次に友だちは身内以外の他人であるという偏見を持っていないだろうか❓

【友だちは他人でないとダメ❓】

友だちは家族以外の人であるという思い込みを持ってはいけない❗

どの法律を探してもそんなことを明文化しているものはない。

要するに友だちは家族の間に成立しても良いと思う。

それが親であれ、兄弟姉妹であれ良い❗

自分を認めてくれる人が友だちならば、誰でも良いのだ。

ではなぜ私たちは他人の友だちを求めるのか❓

【他人の友だちを求めるのは・・・❓】

上述では他人でなくとも友だちのような関係を家族でも築けるとお話しした。

だが家族は身内、もっと言えば自分の一部なのだ。
誰かと価値を共有するには自分以外の人とではなければならない。

だから他人の友だちを求めるのだと思う。

【意見】

人は孤独では生きられない。
けれどもみんなと一緒でないと生きられないわけではない。

1人の方が気が楽な時もあるし、逆に誰かと交わりたいと思う時もある。

他人の友だちが必要な時もあれば、家族の友だちで十分な時もあるだろう‼

だから私は言いたい☝

友だちという枠に拘らずに、本音を言える人が傍にいると思えることが大切なのだと私は思う❗