発達障害がある子どもたちのための手引書

発達がゆっくりな子どもたちへの応援ブログです。私は障害のあるお子様が、学校の授業が終わった後や、休業日に通って療育を受けられる通所施設の放課後等デイサービスで学習支援をしている先生です❗子どもたちを教えている立場から見えることをお話しします❗

夢見ないのは、自分せいか💢PART2


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今日は前回の続きを書こうと思います。

未来はありきたりの小学校生活を終えた。多少友だちと喧嘩をしたりすることもはぶかれることもあったが、小学校を一般的なやり方で終えた。

それは言葉で言うなら、無難と表現する方が妥当だろう。

そして中学校が始まった。

【中学校時代】

ほとんど小学校の時の知り合いばかりであった。

そのため確かに進学はしたものの、周りは変わりばえしなかった。

変わったことを強いて挙げるならば、担任と各教科の先生が変わることくらいだった。

またそこに学力テストというものまで加わり、偏差値重視になったこととも言える。

学力をつけるとはどういうことか❓ということを考える暇もなく、テスト勉強に明け暮れた。

またこの時期、拍車をかけたことがもう1つある。

それは立場逆転現象である。

小学校時代は体の大きさと運動神経の良い子が優勢だ。

しかし中学になると、小学校では目立たなかった子が、学力でメキメキと力をつけ、権力を握るようになった。

学校で行われる行事も、表面上はクラスみんなが一致団結しているかのように見えていた。

そこには透明に見えて、でもはっきりと階級差があった。

成績レベルが中の中にいる未来には、事態を変える術もないし、そのうちそんなものだと思うようになった。

そして高校受験をして、未来もみんなと同じように高校生になった。

【高校生時代】

未来は生まれて初めて、地域の外の人と触れ合った。

色々な中学校から来ていたからである。

今までのしがらみから解放されて、生きがえるように感じた。

受験が終わり、のびのび高校生活を過ごした。

心から友だちと呼べる友だちが出来た。この時間は楽しくそして充実していた。そういう時間は、恐ろしいほど過ぎ去るのは早かった。

そしてあっという間に高校3年生になっていた。

高校が終わり放課後は、予備校に通い大学受験勉強に精を出した。

その甲斐あり、見事志望校の1つに合格し、進学をした。

ここまでの未来は、その名前の通り自分の前には新しいワクワクする未来が開けていると疑わなかった。

だが大学生になり、いざ就職となると
自分がやりたいものがないことに気づいた。

何不自由なくきたことはありがたいことだが、見つけられないことや選択出来ないことに苦しめられるようになったのだ。

今私たちの時代は戦後当時とは異なり、食べ物が溢れている。
だから栄誉失調にならないでいられる。

そしてこの未来のように、就職も選択肢が多くある。

だから物も就職先もたくさんあるから、幸せだと思いこんでい過ぎやしないだろうか❓

確かにないよりはあった方が良い。

だが問題なのは、あり過ぎる選択肢の中から、自分が必要なものを選べないことだと、未来は今思うのだ。

未来は何も量の問題を取り上げたいのではない。
それよりも自己決定出来ないように育てた社会の仕組みを変えるべきだと言いたいのだ。

あり過ぎるがゆえの、頭が回らないという栄誉失調状態という皮肉。

未来は色々考えるうちに、私と同じ思いの子どもを増やしたくないという思いに気づいた❗

時間はかかったが、悩み苦しんだ時間は未来に着実な未来を見せてくれた。

未来は平凡に生きてこられたことを感謝しつつ、でもこれからは考えることをモットーにして、生きていこうと思うのであった。

終わり

ここまでお読み頂きありがとうございました❗