発達障害がある子どもたちのための手引書

発達がゆっくりな子どもたちへの応援ブログです。私は障害のあるお子様が、学校の授業が終わった後や、休業日に通って療育を受けられる通所施設の放課後等デイサービスで学習支援をしている先生です❗子どもたちを教えている立場から見えることをお話しします❗

学校の先生が【いじめ】を本当に知らないと思うか❓


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また【いじめ】の問題が起きてしまった。

山口県下関市自殺未遂の件である

文科省が疑いが生じたら調査するべきだと、あるいは保護者から申し立てがあれば調査するべきだと言っていたのにもかかわらずである。

 

私は担任が気づかないわけはないと思う。

いくら生徒が1人ではないとしてもである。

気づかなかったのではなく、気づかないようにしていただけ。

 

では理由は❓

 

多数決の原理にやはりあるように思う。

 

今回男の子が女の子をいじめていたようだが、男の子が複数人だったことと女の子の方のお友だちの姿が薄いことが関係している感じがする。

 

また表面上は男の子がいじめていたように見えるが、その裏に女の子の存在がある。

つまり男の子にとって女の子全員を敵に回すのは怖い。

だから女の子に人気の子はいじめない という暗黙のルールがあるのだ。

 

従ってこの自殺未遂の女の子は他の女の子から人気はなく、いじめても反感をかわないと思ったからこそ、いじめが出来たと言える。

 

こうやって日常茶飯事いじめが行われていた。

このいじめを受けていた女の子はその事を打ち明けられなかったのか❓

 

恐らくクラスの誰も信じられなかっただろうと思う。

自分がいじめられていたのを分かっていたはずなのに、誰も助けの手を差しのべてくれなかったのだから。

 

SOSの唯一の手段が登校拒否だったと考えられる。

担任は学校に来ない事情を女の子や保護者さらにはクラスの子どもたちに聞いたか❓

もし聞いたと言うなら、どんなやり方でしたのだろうか❓

 

無記名や匿名でも良いと言う手段も講じたか❓

または話してくれた人の名前は絶対に口外しないという条件づきにしていたか❓

(今度は話した人がいじめの対象にならないように)

 

今回事が大きくなってしまったが故に、担任は動かざるを得なくなっただけであり、担任からしてみたら自分は何と運が悪いのかと嘆いていそうな気さえする。

 

私はいじめはイタチごっこのようなものだと考える。

たとえ取り締まっても、また新しいいじめスタイルが出てくる。

だからこそ常に目を光らせ続けなければならない。

 

悪いことをしたのなら、それ相応の報いを受けるべき。

小学生だからと言って責任を取らせないのは如何なものか❗

人間は学習する生き物だから、1度学習すると次回も上手くいった成功体験を利用しようとする。

 

逃げおおせてしまうと、いけないことと分かっていても止められなくなるのと一緒だ。

 

はいじめをした子どもたちにそれがどれくらい卑劣で残酷なものかを、身を持って知らせる必要があると考える。

それは周りで見ていた子どもたちにも、いじめの卑劣さと残酷さを教えることに繋がる。

 

先生方、学校そしていじめをしていた男の子たちの名前を公にして、自分たちの罪と向き合ってほしい。

そしてやり直してほしい。

 

無論名前が出てしまったら、世間から白い目で見られるだろう。そう簡単にはやり直せないかもしれない。

それでも女の子を追い詰めた責任を取ることは、いじめをした男の子たちの将来にきっと役に立つと考える。

 

なぜなら若い時に謝ることが出来れば、また人の生命の尊さに気づければ、2度と人を傷つけなくなると思うし、人の痛みに寄り添う人に生まれ変われると思うからである。

 

最後に、孔子は[自分にしてほしくないことは、人に施すことなかれ]と言っている。

 

人の痛みを自分の痛みのように捉えられるような教育を社会がしていく必要がある。

この辺で教育を福祉を見直し、再構築しなければならないと思う。

 


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