発達障害がある子どもたちのための手引書

発達がゆっくりな子どもたちへの応援ブログです。私は障害のあるお子様が、学校の授業が終わった後や、休業日に通って療育を受けられる通所施設の放課後等デイサービスで学習支援をしている先生です❗子どもたちを教えている立場から見えることをお話しします❗

【先生、私発達障害なんだよね】という言葉に対する苦悩について


f:id:kodomo-mirai:20200927023448j:image

 

皆さん、お久しぶりですね。

ともたんです。

 

今日は子ども(生徒)の発言を取り上げて、障害ということに向き合ってみようと思います。

 

以前も障害は個性と言えるのかについてお話したことがあると思いますが、これはプラス思考に捉えようとする考え方です。

 

だからと言って、個性だから障害を持ちたいと思える人は少ないのではないでしょうか❓

 

私は良い面だけを取り上げて、美談に話をすり替えたくないのです。

 

実は学習支援をしている時に、ある生徒さんから言われた言葉に、『先生、私発達障害なんだよね。』と言われたことがありました。

 

その瞬間、私はだから何?と感じてしまいました。

この子は何を言いたいのだろう?

もしかしたら発達障害だから、頑張って勉強しても無意味だとも言いたいのだろうか?

 

人間には向き不向きがあるように、得意な教科もあれば苦手な教科もあるだろう。

 

でもそれは障害あるなしに限らず、大体みんなにもあるはず。

にもかかわらずこの言葉が意味するものは、何なのだろうか?

 

このような子どもを支援している側にいる人たちは、知らず知らずのうちにレッテルを貼って見てしまう罠に陥りやすいと思われます。

障害がある子どもなのだから、無理と言われれば無理だろうと思う可能性があります。

 

けれど本当にそうでしょうか❓

 

限界まで、頑張れるぎりぎりまで背中を押してあげることが必要なのではないかと思うのです。

 

施設で社会性を含めて学習支援をしてあげられる時期は、子どもたちにとっては失敗が許される学びの時期です。

ここでは甘えが許される時期でもあります。

しかしいつまでも子どものままではいられません。

社会に出た時に、甘やかされた経験しかしてこなかったら、粘りがきかず子どもたちが苦しむことになるのです。

 

だから私はその生徒にも、敢えて限界まで頑張るように声がけをしました。

粘り強く頑張っても、それでも難しかった時に、やり方を考えようと。

 

ただ言える大事なことは、子ども本人だけでも施設だけでも学校だけでも親だけでも、限界があります。

縦割りでは駄目なのです。

みんながお互いに協力支え合わなくては駄目なのです。

 

今はやれていませんが、近いいつか施設だけに留まらず、困っている人たちがいたら出て行って、パイプを繋げられたらと思っています。

そして私が教えた子どもたちが未来を切り拓き作っていける明るい社会になるよう、まだまだ努力していきたいと思います。

 

今日もここまでお読み頂き、ありがとうございました✨