『発達障害のお子様の支援』も含めた教育の在り方とは❓
今回は人を育てる上で重要な『教育』について触れたいと思います。
今さえ良ければそれで良いのか❓という点です。
私が子どもたちや保護者の方々と接する時に信条としているのは、【未来が見えるか】ということです。
勿論今は大事です。
しかし今の先にある未来にまで目を向けた時に、自信を持って子どもたちの社会人としての姿が描けることまでが大事だと思うのです。
そのために出来ることは何か❓
整理してみようと思います。
まず①課題の明確化です。
躓いている箇所を探ります。
この時に気をつけるべきことは、出来るだけ挙げることです。
多少くだらないかなと思えることであっても、挙げてみます❗
多すぎる位でちょうどです。
なぜなら数が多いということは、それだけお子様を見ている証拠だからです。
次に②課題の類型化をします。
先に挙げられた課題の中で、内容が似ているもの同士をグループ化するのです。
例えば学習面·社会面·作業療法面等にグループ化します。
こうすることで、どういった面が課題なのか分かります❗
それから③グループ化された課題の中での優先順位をつけます。
これは早急に取り組む必要なものと、将来的に取り組んでいけば良いものと整理するのです。言い換えれば短期目標と長期目標とに整理します❗
整理出来たら、擦り合わせをします。
④擦り合わせとは、親と子どもと専門家である私との間で、問題のズレを話し合いをしながら埋めていく作業に当たります。
※この時、親に寄り添いすぎてしまい、子どもをなおざりにしないように、話を進めます。私は両方の意見を伺いながら、出てきた内容の共通点を見い出しています。
双方の意見を取り入れるので、親子で積極的に授業に取り組んで頂けます。
そしてから、立てておいた目標と親子の気持ちを取り入れた内容を見比べて、支援の方向性を決めます❗
私が行っているのは上に書いた通りなのですが、教育とは支援の方向性を見極めることに他ならないと思うのです。
ビジョンを持って何十年後かを描けて専門家と言える気がします。
常識に捕われすぎて、可能性が見えないのは、人間を見ているのではなく、機械的に見ているにすぎないからだと思います。
支援級だから子どもに合わせたレベルで、しかも本人が疲れたと言ったからという理由で、休み時間でもないのに休ませてみたり、学習のスピードとレベルを子どもに合わせすぎるのは如何でしょうか❓
これは支援級の子どもたちの能力と可能性を過小評価していると感じるのです💢
社会人になった時に、社会人としてのモラルを持って活躍出来るように、時に厳しくはっぱをかけることも大事だと思います。
可能性を試してみて、それで能力的に限界が見えたとしたら、始めてその子どものレベルやスピードに合わせてゆっくりにしても良いと思います。
誰のための可能性なのでしょうか❓
間違っても支援をする側から限界を決めてはいけないと私は訴えていきたいと思います📢
今日もここまでお読み頂き、ありがとうございました😄