発達障害がある子どもたちのための手引書

発達がゆっくりな子どもたちへの応援ブログです。私は障害のあるお子様が、学校の授業が終わった後や、休業日に通って療育を受けられる通所施設の放課後等デイサービスで学習支援をしている先生です❗子どもたちを教えている立場から見えることをお話しします❗

ご褒美のつけ方に潜む危険について


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こんにちは。

大変ご無沙汰でした。

ともたんです。

 

久しぶりに書きますが、今回ご褒美について書きたいと思います。

 

いろんなご褒美のスタイルがあるかと思います。ただ共通するのは、その人にとってほしいものであり、そのためなら頑張れるという所でしょう。

 

ご褒美自体は、一時的なものであれば効果大。しかしやり方を間違えれば、常習性がつき、それなくしてはやれないという課題も残ります。

 

褒める、そして美しいと書いて『ご褒美』何も物である必要はありません。けれど人間は目で見える物に弱い生き物です。ついつられます。

 

特に相手が子どもなら、そうでしょう。

ならば上手に活かしてみませんか?

 

最初の動機はどうであれ、頑張った対価として、本人の希望を聞いてあげます。

つまり約束を守る信頼関係を持ってもらうのです。

 

ずっとこれだけを繰り返していては、子どもの成長はなし。

 

そこである程度になったら、ルールの見直しをかけます。

 

最初の居心地の良い環境から変われ!というのですから、子どもとしては納得いかないはず。

 

でもね、そこでひるまないで!

辛抱強く話をするのです。

大体の親はこの辺で、悩み疲れ妥協したくなってしまいたくなりますが、ぐっと堪えて下さい。

すると子どもの方も、理解出来るのです。

 

ご褒美の件に限らず、何回もどんなことでも

逃げずに向き合うと、抗体が出来てきて乗り越えられていきます。

 

親が向き合わないということは、子どもを見捨てることと同じ。

だからたとえ世界が皆敵になっても、ちゃんと親として向き合いましょう。

 

そう、単に向かい合うのではだめですよ!

向き合う姿勢が大事なのです。

 

 

 

 

学校に行きたくない人や、今死にたいと思っている人たちへ

 

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こんにちは。

ともたんです。

 

またこの季節が来ました。

そう二学期になるのです。

 

学校に行きたくない、そのように思っている子もいるはずです。

 

行く行かないだけならばまだ良いですが、居場所が全くない場合は、逃げ場がないので苦しいだけです。

 

だから学校でなくても良いので、自分のままいられる場所を見つけてほしいです。

 

子どもも親もどちらにも、ひと息つける場所が必要です。

 

きっとそうすれば、登校は出来なくてもどこかには行けるし、命を絶たなくてすむからです。

 

辛いのは本人。ただ周りもそんな本人を見ていて辛い。

 

すぐに立ち上がれなくて良いから、せめて死んでほしくもない。

だってあなたが死んだら、何も出来なかった周りの人は、あなたの死後ずっと罪悪感に苦しむことになるから。

 

あなたを苦しめた当人たちは、反省も後悔もしないよ!

 

あなたが死んで何になる?

あなたはあなたを支えてくれる人たちを傷つけたいの?

 

そうじゃないはず。

 

だったら、苦しくても今は生きよう!

いつまでも暗闇のままじゃないから。

 

私はそう思う。

生きてさえいれば、見えることが出てくるから。

 

ともたんのつぶやきでした。

 

もし学校に行き渋り始めたり、不登校になってしまったらどうするか?とりあえず悩まず話を聞いて下さい!


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こんにちは、ともたんです。

暑くなってきて、熱中症に気をつける時期になってきましたね。

 

こんな時期、身体だけでなく、心も調子を崩しやすいと言えます。

 

つまり行き渋りとか不登校になりやすいのです。

 

そこで、もしそのような事態になってしまったら、どうしたら良いでしょうか?

 

答えは 無理しない です。

 

逃げもある意味で、積極的な選択だと思います。

 

ただそうなるには子どもなりの理由があります。その理由を明らかにしない限りは、ただ逃げ続けているだけになるでしょう。

 

ではどうやって理由を突き止めるかですが、これはじっくり子どもと向き合うしかありません。

 

最初はとりあえず認めて休ませます。次に時間をあけて、気持ちを話してもらうのですが、意外と子ども本人も、自分の気持ちが分かってないことが多いものです。

 

話をしていくうちに、整理されてきて、伝えたいことが分かります。

 

何が嫌で行けないのか、あるいは何が足かせなのか、はっきりさせます。

 

そうしたら今度は大人(保護者や先生等)が動く番です。

 

ネックになっている原因が分かったのですから、あとは取り除く作業をするのです。

 

(例) 一生懸命頑張りすぎて、疲れるため

   学校に行けない場合

 

   丸1日行かなければというプレッシャ

   ーをなくせば良い!

 

つまりある時間だけ行き、帰れば良いのです。 

 

やはり心の問題ですから、一気に解決しようと焦らないことが大事です。

 

行かせようとするのは、なぜですか?

本当に子どものためでしょうか?

もしかしたら親の体裁のためになっているのではないでしょうか?

 

そんな時は、急がば回れという言葉を思い出して見ましょう!

 

今日はここまでです。

またお会いしましょう😀

 

 

 

【本当の意味での合わせること】とはどういうことか?

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こんにちは、ともたんです。

 

今日は、【個々に合わせる】ことについて考えます。

 

今は昔より個人を重んじる時代と言えます。しかしそれ故に本来の❨皆と合わせること❩意味合いが薄れているのではないでしょうか?

 

ある学校での場面にそれが顕著です。

その場面とは、【給食の時間】です。

 

私たちの時代ももちろん給食はありました。

当番がそれぞれトレイに配膳していきます。配膳係の目分量で入れていて、出来るだけ残さず食べました。

 

つまり食べる時間も考えて、配膳をしていました。

 

しかし最近の学校では、一人ひとり食べる量を細かく聞いて、微調整しながら配膳するのだそうです。

 

確かに食べ残しはなくなるかもしれません。

 

ただ配膳に時間がかかる上に、何でも個人のペースに合わせるというのは、少し違う気がします。

 

個人が重視されるのは良いと思いますが、社会のルールに個人が合わせていくことも必要だと私は思います。

 

少子社会だからこそ甘やかすのではなく、子どもは地球の宝だからこそ、厳しく律するべき所は律するのが大事なのだと思うのです。

 

そうすることで、世界が抱えている問題にも自分から考え合わせるべき所は合わせられるようになるのではないかと考えます。

 

皆さんも、合わせることの意味を考えて頂ければと思います。

なぜ算数の方が好かれるのか?

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こんにちは!

 

今日は端的に算数の話をしたいと思います。

子どもたちは、国語よりも算数の方が好きな子が多いです。

 

なぜか?

 

それはワーキングメモリーに関係する気がします!

 

国語は漢字やひらがなそしてカタカナで構成されます。

学年が上がるにつれて、漢字ならば画数が増えて覚えるのが大変です。

 

それに対して算数は数字だけです。

ここだけ捉えてもシンプル。

 

国語は文章を読まないといけません。

 

文章は長くなると、最後まで展開が掴めず疲れます。

 

最初と最後を読めば良いわけではないからです。

 

目がチカチカしてしまい、きっと読む気すらしないでしょう。

 

算数は文章題でも、出てくる数字を使うという予測がつくから、やり甲斐があるわけです。

 

ここまで読めば、算数が好きな理由が分かると思います。

 

 

では国語の勉強はどうすれば?

 

これはパターン別に考えれば良いのです。

①文字が強い子用

②文を読んだり聞いたりするのが強い子用

 

つまりこの①と②両方をやらせようとするから嫌になるのです。

 

得意な方を理解してどちらか一方だけ伸ばせば良いのです。

 

1つだけ得意なものが出来て自信がつけば、きっと自主的になれるはずです。

 

 

私たち大人はそういう背中を押してあげることが必要です。

 

今日もお読み頂き、ありがとうございました😀

療育にもチームワークが大事!

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こんにちは:-)

ともたんです。

 

ゴールデンウィークも、もう終わりです。

楽しい時間はなんでこんなに早く過ぎるのでしょう?

 

とはいえ明日は来る。

一緒に気を取り直して頑張りましょう。

 

今回私はチームワークの持つ強みを伝えたいです。

 

私の今の現場である放デイでは、先生方それぞれのスキルがあります。

それは自分たちが、子どもたちのために考えて療育プランを作り実践することが出来るということにあるのです。

 

もちろん基本の計画は児発管の私が決めますが、後はその子へのアプローチの仕方は、担当の先生が自由に決められるようにしています。

 

そうすることで、よりその子に合った療育が出来ます。

 

私にとって児発管とは、いわば指揮官であり、同時に先生方の黒子なのです。

 

しかし残念なことに、児発管=威張ると思い込み、先生方に色々なこと(雑務等)を押しつける児発管もいます。

 

そして一番たちが悪いのは、仕事の押しつけを割り振りをしていると勘違いしていることにあります。

 

本当に割り振りならば、先生方から嫌がられることはないと言えます。

 

私は子どもたちや先生方の可能性を信じているからこそ、これからも裁量を大事にしていこうと思います。