発達障害がある子どもたちのための手引書

発達がゆっくりな子どもたちへの応援ブログです。私は障害のあるお子様が、学校の授業が終わった後や、休業日に通って療育を受けられる通所施設の放課後等デイサービスで学習支援をしている先生です❗子どもたちを教えている立場から見えることをお話しします❗

『教育の上での平等って何か❓』について

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24時間テレビが終わると、もう夏休みが終わるなぁという感じを私は思います。

皆さんは如何でしょうか❓

2学期になると、学校行事が目白押しですね🎵
たとえば運動会🏃やら合唱祭とかがあります。
しかし最近は夏が終わっても暑さが厳しいということもあり、時期をずらして行っている学校も多いですよね❓

だから一概に2学期とは言えませんが、この時期になると思い出す私の体験談に触れたいと思います📢

それは運動会での出来事です。

【運動会と言えば❗】

運動会と言えば、短距離走・リレー・ダンス💃・騎馬戦・応援合戦等がありました。
たぶんこれだけではなかったと思いますが・・・・・。

運動会に向けて夏休み前から練習が入り、9月から本格的になりました。

特に入場行進は揃うまで激を飛ばされながら練習した記憶があります。

その中でひときわ思い出すのは、騎馬戦です。
事件は騎馬戦で起きました😱

【騎馬戦事件】

確か4人で一組だったと思います。1番背が低くて体重が軽そうな子どもが、上に乗るシステムです。
私は1番背が低く、いつも1番前を死守していました。だから騎馬戦も1番上に乗ることになったのです。

でも4人ではなかったのです。3人しかいなかったのです。

それで突入しなければならず、当然すぐに大破されました。

その一部始終を見ていた母は、泣き笑いだったそうです。いや怒りすら覚えたと話してくれました。
恐らく他の親も母と同じ、やるせない辛い気持ちだったでしょう。

【なぜ悲しい思い出になってしまったのか❓】

本当ならば楽しい思い出になるはずの運動会が、この騎馬戦で一変して、思い出したくない思い出になったのですが、原因は「構成」にありました。

4人一組の決め方が問題だったと思います。まず背の順番に並び、背が高い順から4人一組に組ませていったのです。

ただでさえ体が大きくパワーもあるのに、背の高い順で組ませれば、小さい子どもたちは不利になるのは分かったはずです。
体格差でも不利なのに、人数的にも1人足りないのは、もはや自爆してくれと言っているようなものでした。

そこで子どもの数が足りないならば、先生の誰か1人で良いので入ってほしいと頼みましたが、受け入れてもらえませんでした。

なぜだか分かりますか❓

答えは「贔屓になるから」と言われました。

納得はいきませんでしたが、しぶしぶその答えを飲むしかありませんでした。

人数が足りない分を補うことの何が贔屓になるとい言うのでしょう❗

その結果が、大破です。

この時の私の気持ちは、なんだか分からないけど、恥ずかしいのと虚しいのとがっかりなのと、色々な感情が入り混じっていました。

大人になった今も、その時のことは鮮明に覚えています。

【ここから言いたいこと📢】

私は事なかれ主義が招いた悲劇だと思います。大きくて背の高い子どもたちは、子どもたちの世界でも権限があり、強いです。

そう言った子どもを敵に回したくないという先生方の保身の気持ちの表れから、背の高い順から決めたと感じます。

そうすれば文句も出ないし、恨まれないと思ったのだと思います。

そこには子どもファーストの気持ちは感じられません😭

私はその時からずっと『平等』とは何かを考え続けているのです。

誰かの犠牲の上で成り立つ平等というものは存在してはいけないと思うのです。

誰も人を傷つける権利等ないはずです。
ましてや教育という現場で、不平等な理不尽な思いを味合わせるというのは、教育する場所としては不適格です。

声を上げようと言われるこの頃ですが、上げたくても上げられない人もいます。

他人事だから言えるのかもしれません。

声をいや権利を主張しない人が損をするのではなく、声や権利を自信を持って主張出来る教育体制を築くことを、私は求めたいと思います❗

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